宮城県気仙沼市 港の観えるフカヒレ海鮮割烹の宿

創業時から収集した古伊万里や時計などの、アンティークなコレクションをホテルラウンジを使った「ギャラリー浮島」として展示を行っております。
展示品は、いつも変化を感じてもらえるように、ホテル所有ものを含め、地元コレクターの方々からご協力いただいた物を、2〜3ヶ月のサイクルで入れ替えています。
どうぞ、お気軽にお立ち寄り下さい。
写真右 1878年アメリカ「エラ・イングラム社製作」(一景閣が創業より使用しているものです)


気仙沼出身の第九代目横綱『秀ノ山 雷五郎』は、身長が164cmと歴代横綱で最も背の低い力士であったにも拘らず、38歳にしてついに相撲力士の頂点、横綱にまで昇りつめた郷土が誇る偉大な力士です。
少年時代より怪力豪腕で相撲が大好きだった辰五郎(秀ノ山)は、相撲力士の夢を捨てきれず一人江戸にむかうのだが、体がちいさかったために、どこの相撲部屋でも門前払いだったといいます。
ようやく同郷の荒熊力之助に拾われるが間もなく追出され流浪の身となってしまう。神だのみの日々を送るうち、桐生の高木源之丞に助けられ、庇護をうけて、やっと秀ノ山伝治郎のもとに入門がかなうのだった。
その後も、短体故に辛酸をなめることになるのだが、持前の強靭な精神力と練磨によって肉体的な劣位を克服し、天保8年1月入幕、文政11年2月関脇、12年1月大関と進んだ。その間、天津風、立神、石見潟、そして師匠の名「秀ノ山」を継ぎついに横綱免許を受取るまでとなった。
その功績は多くの浮世絵の中に残されています。



義経伝説に登場、義経の恋人の皆鶴姫は、陰陽師・鬼一法眼の娘として、古くから歌舞伎などで演じられてきた悲劇のヒロインです。
気仙沼市本町の天台宗観音寺には、寛政二年(1790)に作成された 「当山観世音縁記」という寺社縁起が所蔵されており、そこには、義経を慕って東国に至り、病死したことがかかれてあります。
皆鶴姫の、守り本尊と共に流れ着いたところが、この一景島公園(魚市場建設による埋め立て以前は海に浮かんでいた島)にあたる『一ケ嶋』でした。その亡骸を供養する為に義経は守り本尊であった観音像を安置し、そのことが観音寺の始まりと伝えられております。
皆鶴姫伝説は、後世には気仙沼市字松崎前浜に観音堂を建立し、現在も毎年供養を行っており、気仙沼地方の著名な伝説の一つとして、人々にくりかえし語られてきました。


砂の上に わが恋人の名をかけば
波のよせきて かげもとどめず

陸前国本吉郡松岩村(現気仙沼市)にて、1861年11月15日、仙台藩重臣の鮎貝盛房の次男として生まれる。1874年、国学者の落合直亮の中教院に学び養子となった直文は萩を愛し萩廼家と号した。 1888年、皇典講究所(現国学院大学)、翌年第一高等中学校にて教鞭をとり、以降国文学者、教育者としての道を歩む傍ら、歌集、文学全書の刊行など多彩な文筆活動を展開した。 1893年には短歌結社の先駈けとなる「あさ香社」を与謝野鉄幹、大町桂月、尾上紫舟らと創設し、「日本大文典」「ことばの泉」などの文法書や事典の編集刊行に尽力した。 その後、落合直文の精神を受け継いだ与謝野鉄幹は後に「新詩社」を結成し、「明星」を発行した。
上で紹介した短歌のように、明治以降の近代短歌で「恋人」の言葉をはじめて使い世間に広めたとされています。